- 関東大地震末代鑑 p. 1
「みんなで翻刻」の該当頁
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ぢしんよし原はちしんの上江戸丁又は角丁あげやまちへん処々よりもへ出し五丁残らず焼大門外五十けん西がはのこる田中は大半くずれ三谷【山谷】通り
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又ひと口は堂前やけ此へん寺まちやとも大ひにつぶれとぶたなへん少々夫より下谷とうめう寺店少々又くわう【広】徳寺通り
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たぶんの事なく其余よこ立十もんじうら表ともくづれたるばしよいさゝかなるは筆紙につくしがたし又みのわ通り新丁へんは大ひにいたみ金すぎは少〻坂
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本へんは大ひにくづれ同所二丁め三丁めやける御切て丁同山下通りは諸々くづれ御具そく丁山ざき丁へん大ひにくづれ又せんたん木谷中だんご坂下ばんずうゐんうら門通り
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大つぶれやぶ下の通り谷へくづれ落て往らい二尺ほどのはゞになる善くわう寺ざか上少〻根
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なり向ふより出火して同一丁め木戸ぎはまでやける同二丁めいなりのかは少やける池のはたなか丁のきはとまる仲丁うら通り
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門前やなき丁こと〴〵くつぶれる御そうしまちとさきまち人家大はんつぶれる白山近へん少〻その下れんげ寺ざか下さすが谷丁このへんつぶれ夫より片丁通り
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谷」カ】荒かはまでやける又本郷竹丁へん丁家せう〳〵小やしき大半つぶれおちやの水へん少〻せいどうは多ぶんの事なし是より御かち町通り
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多ぶんの事なく中おかちまち通りかたかは【片側】やける同しよひろこうじ北大もん丁おもてどほり井口より上
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けるはいれう屋敷くるま坂町大門町〻長じや町一丁め二丁め下谷丁二丁めだいち是よりおかちまち通り
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三まいばし横丁は鈴木石川さかまき七十二ふくゐ山崎さまとうやける三まいばし角なかおかちまち通り中根さま半焼大■【沼?】大つか山木清■九■へ
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様つぢ本様焼るしん屋敷南西すみ久保田菅井飯ぐら様焼る■けにてとまる又御なり屋石川様くろ田様やけこのへん小屋敷大はんつぶれ伊賀さまやけて神田昌平ばし通り
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ずれ神田明神の社つつがなく又はなぶさ町なか丁一丁め二丁めこのへん御成かい道町家東西からどほりまでも大はんくづれるあいおい町は少〃夫より藤堂様おもて門通り
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少〃又あたらし橋通りは多ぶんのとなくさみせんぼり佐竹様御長
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屋むきいたむ立ばな様おなししんとりこゑ天もん原へんはさしたるそんじなくおんくら前通り茅丁より浅くさ見つけ
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迄是又多ぶんの事なし浅草御門内西両国は広こうぢへん柳原通り久右衛門丁としま丁べんけい橋此へんも至てかろし
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しばしよはふしん新きに付いたみすくなしもちろん平永丁は大ひにくづれもみ蔵少〃そんず夫より八つちが原【八つ千川原?】するが台へんはたいしたる事なく神田すだ丁通り
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かまくらがしへんもおなし小川丁はすぢかひより水道ばしへん通りの内稲葉ながとの守様此へんは少〃そんじ土屋采め正様此へんも又同し戸田武治郎様やけ表なが
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巣淡路守様焼る長谷川荒井様二けんながらおもてまはり残る山本様にて焼とまる又一口はきじ橋どほり小川丁本郷丹後守様やけ又ひとくちは一ツ橋通り
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又此近へんやけのこりたる所はあらましくづれつぶるゝ夫より小いし御門うちの所は少〃そんじ飯田丁このへん破そんすくなく夫より山の手うら表ばん丁辺一ゑん多分のそんじなくかうし丁大通り
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家あり又これよりさきないとうしん宿まで多ぶんのいたみなしといへども玉がはじやうすゐの大どひ【樋】やぶれ水あふれいでゝふしんちう往らいとまる又さめが橋こんだ原へん大ひにそんじ紀しう様御屋しき西通り
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夫より六道のつぢ多ぶんの事なく又赤坂御門外ははそん所ことの外多く青山善光寺通り
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伝馬丁かめゐ丁附木店へん少々つぶれ又両がへ丁するが丁せともの丁むろ町伊勢丁小田はら丁ほか江丁にあみ丁このへん少々いたむ是より大門通り
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んせう〳〵そんじる又幸橋御門外一ゑん多ぶんの事なしそれよりあたご下通り此辺んせう〳〵又西のくぼ飯ぐら片町かはらけ町所々ま
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ら丁一けんも立家なくこと〴〵くつぶれたほるゝ又たて川通りは林丁一丁めより五丁めまでの間所々潰れみどり丁一丁めより二丁めまでやけて三丁めのこり又四
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丁五丁目やける花丁少々のこる又一くちは徳右衛門丁一丁め二丁目までやけこゝにてとまる柳はらより四ツめ迄の通り少々潰
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ぶれる又■【所ヵ】めの通りお舩ぐら前丁より出火して西光寺残り大久保様屋敷少々のこる又聖天宮大仏殿■壱