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地災撮要. 巻11-12(地震之部) (25)
『地災撮要. 巻11-12(地震之部)』 のみで検索:
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地災撮要. 巻11-12(地震之部) p. 5
「みんなで翻刻」の該当頁
一
地震
の来る其初神速甚し震動更になし唯一丈許揚りて其ま
ゝ落されたりと覚へしか直に家居傾へたり故に人々戸を出る間なし偶々辛ふして戸を出たるもの却て屋瓦の為に打たれて創蒙りし多し且戸を出る頃は大方
地震
は止みたりとそ其迅速想ふへし去年駿州にて
地震に逢へしものゝ話に地震
の来るは海中にて大濤の来るを見るか如しと云へしとそ一
地震
地災撮要. 巻11-12(地震之部) p. 24
「みんなで翻刻」の該当頁
可勝計《割書:中略|》八月四日乙巳
地震
五度是日達智門上有気如シテ煙非煙如シテ
虹非虹飛上属天或人見之皆曰是羽蟻也《割書:中略|》十二日癸丑鷺一集朝堂院白虎楼豊楽院栖霞楼上陰陽寮占曰当シ慎失火之事十三日甲寅
地震
有鷺集豊楽院南門鵄尾上十四日乙卯子時
地震
十五日丙辰未時有鷺集豊楽殿東鵄尾上《割書:下略|》皇帝紀抄ト云文治元年七月九日未尅大
地震
書:中略|》かくおひたゝしくふる所也はしばしにて止にしか其名残しはらくは絶す尋常におとろくほとの
地震
二三度ふらぬ日はなし十日廿日過にしかはやう〳〵間遠になり或は四五度二三度もしは一日ませ二三日に一度なと【『
地震
考』で
地災撮要. 巻11-12(地震之部) p. 30
「みんなで翻刻」の該当頁
かる時は地心より地上まて凡二千五百里なり此図黒点の間凡一千里なり【注】今度の
地震
動にて畢るならん今度震動する所京師を心として近国に亘り末は東武南紀北越西四国中国に抵る又京師の中にても西北の方心なりしや其時東山にて此
地震
に遇し人まつ西山何となく気立升りて忽市中土煙をたてゝ揺来り初めて
地震
なる事を知れりとなり○又
地震
寛文二年壬寅三月六日より廿日まで日朝夕如血月亦同五月朔日大
地震
五条石橋落朽木谷崩土民死至七月未止たり広嶋氏の譚に享和三年十一月【『
地震
考』では「一千五百里なり」】
地災撮要. 巻11-12(地震之部) p. 28
「みんなで翻刻」の該当頁
地震
といへは通せす古言の辺鄙に残る事みるへし○三代実録仁和三年
地震
之条に京師の人民出廬舎居于衢-路
云々こたひの京師のありさまもかくのことくいと珍らかなり○
地震
に付て其応徴の事なとは漢書晋書の天文志なとには其応色々記しあれとも唐書の天文志よりは変を記して応を記さす是春秋の意に本つくなり今太平の御代何の応か是あらむ
地震
廿一日思斉堂主人誌○此
地震
考一冊は予か師涛山先生の考る所にしてこの頃童蒙婦
地災撮要. 巻11-12(地震之部) p. 31
「みんなで翻刻」の該当頁
すと大にあやしむ此時広島氏考て曰是は雲のたるゝにあらす地気の上昇するならん予幼年のとき父に聞ける事有地気の上昇するは
地震
来るにも暫時外の地にのかれんと人をして荷物なと先へ送しをそこ〳〵に支度して立出ぬ道の程四里計も行とおもひしが山中にて果して大
地震
ぬ此時小木の湊は山崩れ堂塔は倒れ潮漲て舎屋咸海に入大きなる岩海より海出たり【注】それより毎日小動して翌年六月に漸々止たりとなん其後同国金山にいたりし時去る
地震
には定めし穴も潰れ人も損せしにやと訪ひしにさはなく皆いふ此地はむかしより
地震は已前にしりぬ去る地震
も三日以前に其徴を知りて皆穴に入らす用意せし【『
地震
考』では「湧出たり」】
地災撮要. 巻11-12(地震之部) p. 25
「みんなで翻刻」の該当頁
屡発シ至於歳終マ本朝天文志に云宝暦元年辛未二月廿九日大
地震
諸堂舎破壊余動至六七月止ルかく数々ある中にも皆はしめ大震して後小動は止されともはしめのことき大震はなし我友広島氏なる人諸国にて大
地震
ときは一度もなしと申されける現在の人にて証とするに足れり○
地震
之説径世衍義孔鼂【墨誤カ】曰陽伏于陰下見迫于陰而不能升コト以至於
地震
と如此陽気地
通ず或は蜂の巣のことく或は菌瓣のごとし水火の気其中に伏す蓋【『春秋明志録巻六』に「孔墨曰陽伏于隂下見逼于隂故不能升以至于
地震
」とある】
地災撮要. 巻11-12(地震之部) p. 32
「みんなで翻刻」の該当頁
故一人も怪我なしとなり其徴はいかにして知るやと問しに将に
地震
せんとする前は穴の中地気上昇して傍なる人もたかひに腰より上は唯濛々として見へす是を
地震
の徴とすといへり按るに常に地中に入
ものは地気をよくしる鳥は空中にありてよく上昇の気をしる今度
地震
せんとする時数千の鷺一度に飛を見る又或人六
月廿七日の朝いまた日も出ぬ先に虹丑寅の間にたつを見る虹は日にむかひてたつは常なりいつれも常にあらさるは徴とやいはん○又はしめにいへる
地震
地災撮要. 巻11-12(地震之部) p. 35
「みんなで翻刻」の該当頁
といふ処ゆゑ反て其音調の直りしも至極の事に覚へ侍る素問五運行大論曰風勝則地動怪異弁断曰此説に随ふ時は
地震
は風気の所為也又曰
地震
に鯰の説世俗に有仏説なるにや風を
以て鯰としたるもの歟魚は陰中の陽物なれは風にたとへ言るならん何れにても正理には遠き説なり白石の東雅に言
地震
にいへり三才図会になへと出たるは何にもとつけるにやもしなへと言へはなへをつゝめはねとなるねは根にして地をいふ
地震
地災撮要. 巻11-12(地震之部) p. 23
「みんなで翻刻」の該当頁
度ばかり三四度になる事もあり然れともけふ既に廿日あまりを経ぬれどなほ折々すこしづゝの震ひもやまで皆人々のまどひ恐るゝことなり世の諺に
地震
きはなれは旧記をしるして大震の後小震ありて止ざるためしを挙て人のこゝろをやすくせんと左にしるし侍る上古より
地震
のありし事国史に見えたる限りは類聚国史一百七十一の巻災異の部に挙て詳なり三代実録仁和三年秋七月二日癸酉夜
地震
《割書:中略|》六
日丁丑虹降東宮其尾竟天虹入内蔵寮《割書:中略|》是夜
地震
《割書:中略|》卅日辛丑申時地大震動経-歴
地災撮要. 巻11-12(地震之部) p. 6
「みんなで翻刻」の該当頁
載せおきし什器類都て西方なるは落たれ共東の方なるは落す
地震
の来る西より東へゆれたるにやと或人語りぬ一地割
出て泥を吹きしは千住以南の事なりといふ七修類槀【稾の誤記】云菽園雜志載
地震
極大時最多然皆夜也予年七十吾杭地動凡三
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