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土佐古今ノ地震 (36)
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土佐古今ノ地震 p. 8
「みんなで翻刻」の該当頁
較上綿密にして秩序あること驚くべき事とす今先づ其事実の確実なるを証せん為め前四年間
地震
}、同六月辛亥、灰零同同丁巳、雷電之甚也同九月乙未、
地震
同十一月甲戌、自{レ}戌至{レ}子、東方明焉、同
同辛巳、雷{二}於西方{一}白鳳十年三月庚寅、
地震
同六月壬戌、
地震
同十月癸未、
地震
白鳳十一年正月癸丑、
地震
同三月庚子、
地震
同七月戌申、
地震
同同壬子、信濃吉備国並言、霜降、亦大風、五穀不{レ}登、同八月壬申、有{レ}物
東山{一}、其大四囲同同癸酉、大地動同同戊寅、亦
地震
、是曰、平旦有{レ}虹、当{二}于天中央{一}、白
鳳十二年七月是曰始至{二}六月{一}旱、同九月丙戌、大風土佐大
地震
の前四年間の天災地変を閲し来る大凡此の如
し或は火山の破裂して灰を降らせりと覚ゆるもの或は気象の頗序を変へ季節に異同を生ぜりと覚ゆるもの其他普通の
地震
の禍等一々臚
列して数ふるに遑あらず想ふに此時代は恰も日本全国地動の劫運時代に際し然して土佐国大震に至りては所謂其絶頂に達すせし者ならむ大
地震
の現状日本書紀天武紀白鳳十三年十月の条に曰く壬辰、逮{二}于人定{一}、大
地震
、挙国男女叨唱、不{レ}知{二}東西{一}、則
土佐古今ノ地震 p. 5
「みんなで翻刻」の該当頁
土佐古今ノ
地震諸言大正二年九月一日関東大地震
あり東京近
傍其の災害殊に大に死傷数十万に達し惨憺なること言語に絶す之を古今東西の記録に徴するに太古羅馬時代のポンペイ埋没の時変、近代伊太利メツシナ海峡の震災、本邦に在りては宝永安政両度の大
地震
実に世界記録あつて以来の一大天災と謂べし抑も本邦の如き火山国に於て
地震
の災害は絶対に之を避けくる能はず只
古今の経験に徴し之に対する用意を怠らずは即ち其の災害を幾分か減少し得るのみ葢今回の関東大震は痛く国民の心に印象を残し今後
地震
の災害に対する予防に就ては研究注目を置くもの少なからざるべし然るに今迄に於て本邦に
地震
の発起したる幾回なるを知らすと雖も時を経るに及びては世人之を忘れ
地震
に対する知識は案外に浅薄なり今回の
時変に対する世上の報道にも直に之を取つて近代の安政
地震に比較するものあり然し安政地震
は元来二回あり元年は昼
地震にて西国之を感じ二年は夜地震
にて江戸之を感ず然るに世上は之を混同して一
地震
となし今回の大変は殆ど之
に匹敵すなど速断する者あるは誤まれるも亦甚しといふべし元来
地震
の知識なくして之が災害を避けんとするは難し
といふべし譬へば黴菌の性質を知らずして伝染病を避くることの難きが如し已往は追ふべからず今後に於ては日本人民は一様に
地震
の知識を有せざるべからず余前年土佐の国に於て
地震
の沿革を取調べ嘗て之を地学雑誌に公にしたる
ことあり然も未だ之を世間一般に公にしたることあらず今や今回の大変遭遇し
地震
智識の忽せるにすべからざるを想
ひ此に一日土佐史談会に於て講演し今又世の参考に供せん為め更に印刷に付して之を志望者に領布する事とせり地
震
は恐るべし然も細かに記録を調査する時は其の由て来る所窺知し難きにあらず又海国の
地震
には多く津浪を伴ふ且又
数百千回の小震を感じ海潮も亦一二年間静止せず然れば大
地震後の余震高潮は恐るゝに足らず是れ皆地震
研究上より
改竄を試む文字稍練を欠ぐも達意を主とし潤色を加へず明治三十二年の大暴風は
地震とは異なるも四大地震
に次ぐ大天災なれば是又末世
土佐古今ノ地震 p. 15
「みんなで翻刻」の該当頁
南海、東海の三十余国皆之を感ず此時の土佐
地震
は前後回の中其震
兆宝永年代は白鳳年代と同じく天災地変の廻り年にして当時の記録皆現にこれを伝へたり然れど此時代の事変は已に近代の事とて心ある人々の熟知する所なれば白鳳
地震
る如き煩は避けてこれをなさゞるべし然れば余は唯本章に於て狭義なる大震前後の異兆即ち当時の大
地震
につき土佐
一国に於て観察せる局部震前震後異兆につき述ぶる所あるべし㈠気象稲毛氏記録に曰く大
地震
の年は随分暖なる冬にて十一月
六寸程積上る又曰く宝永四年九月十月十一月迄長日でり十二月八日の夜大雪降り高さ二尺程積上る尤三日降り其内大寒限りなし右
地震
三年ばかり少々づゝこゆなり㈡地上の鳴動又曰く大
地震
明る二月迄ゆりやまず初の如く強くはなし大筒など打つ如し日々五度六度夜も同じ也大地鳴る度々に
地震するなり又曰く明る五年十月迄地震
折々
尤も鳴る事はたへず鳴れども右度々に
地震
は無之㈢泉水の涸又曰く右大
地震
より井戸泉水迄もきれ人々難
の如きは更に数年に渡りて已まざりしといふ今又宮地氏日記秋暮独賢集により当国に感じたる前後強震を記すれば左の如し宝永四年九月三日巳刻
地震同十月四日未刻大地震
同十一月十六日酉中刻
地震同五年正月元日地震
数回同六年三月十一日卯刻
地震
稍大
土佐古今ノ地震 p. 32
「みんなで翻刻」の該当頁
るときは該
地震
並引続き小震の際此線路方向上に常に異兆を見認あしは事実なるが如し然れど安政
地震
易に何等の仮定を下し難しとなす然れど此文中に一時々鳴動西方向に当り云々
地震
は付け合にて云々』といふに由れば其鳴動を発せし地は素より
地震
の中心なるべく詰まり猶
地震
の方向を決するに足るべき第三説は三災録に見へたり其文曰く扨
地震
は震動の如く西より鳴り来て東
へ震ひ渡りしなり子細は土蔵などの潰れし土煙にて空に立登り雲かと見ゆるもの段々立続き吸江渡場まで棚引きしを川原にて正敷身たるなり是に由り之を見れば当日の
地震
観察も亦一様に西より起て東に及ぶといふに符合し兎に角該
地震
の方向決定に興かりて力ある材料なりといふべし案ずるに此の安政元年十一月四日又五日の両日大
地震
は地文上より見れば無論根本的に於て同一箇の連絡
地震
なりたとひ多少震源地を異にするもそは大
地震
の部分的発作と見做すべく根底に於て相関係せるは疑もなき所なり何となれば
地震
の感ずるといふ事はあり得べからざる事実にして一回の大
地震後に其地殻が安定を得る為めに揺り返し又小地震
を感
ずるといふ事は有り勝ちの事実なればなり然れど其両日の
地震ハ相互の間に関係ありといふも其地震
の中心地は必ず
べけれ然れば右のとして之を感じたるも理なきにあらざるが如し況してや地辷の
地震
ならば猶其事実の然るべき上に若火山的の
地震
し次第噴出する者なれば震動の中心が忽ち彼方より此方に移り或は同時に數所の中心を有する事もこれあるべきは怪むに足らざる事なるべし扨安政元年十一月四日、五日の
地震
共我本邦の陸地面上に格別著しき断層又陥没の局所を見ず却て陸地に近き海面に於て両日共恐るべき
地震
を
土佐古今ノ地震 p. 30
「みんなで翻刻」の該当頁
大震後小震は猶四年間継続せり其中大震後の五日間の景况
地震
日記より抄する左の如し但仝本の著者谷脇茂実は大震後船に乗り難を避け居りしかば水上の事とて強震の外は感ぜざる記録と知るべし十一月五日午后四時大
地震
あり夜中軽重
地震八十余度あり仝六日地震
度々あり軽重は覚へず仝七日小震度々あり仝八日
地震
昼夜共あり小ゆり度々あり仝九日
地震
昼夜とも六七度又高知城下鷹匠町水門の番人嘉久助と呼ぶ七十五歳の老人の書ける
地震
度数覚を見るに
二月分合十四度内、大無、中無、小斗〆総合度数八百十七度
地震の性質並方向地震
の性質並方向は学
も昔時に在りてはかゝる事に注意せる人とてこれあるなく零砕の材料により其万一を追究するに至るべきは実に至難の業たり偖、安政元年十一月五日土佐国に感ぜる
地震
に就ては幸に当国に二三の記録あり就れも目撃の事実を有りの侭に記載したるものにて能く其
地震
の性質並方向の概况を究むるに屈強の材料となすに足るなり然れど元来該
地震
は西国三十余国に波及せる大
地震
なれば一国一
土佐古今ノ地震 p. 25
「みんなで翻刻」の該当頁
当りて船出す事は難かるべし誡むべき事にして将昔の人は
地震
すれば迚津浪の入る事を弁へず浪の高く入り来るを見
るよりして逃出たればおくれてかくの如き難に逢へり哀にも又悲まざらんや
地震
すれば津浪は起るものと思ひて油断
ん事を余に請ふ因て其荒増を挙て為に書き付くもの也安政三年丙辰十月四日古谷尉助識一読まことに
地震
と津浪との
ところ六ヵ敷漢文を避けて平易の平仮名文を用ひしは一層其用意の深きを見るに足るなり●第四安政元年
地震
総説宝永四年の後一百五十余年を経て孝明
天皇安政元年甲寅十一月五日に至り土佐国又第四回の大
地震あり此時の地震も亦土佐一国の地震
にあらず日本西南半部の大
地震
なりき特に其前日なる十一月四日には東海の諸国又大
地震
海嘯を感じ二日間引続きての天災に西南一体の国々は
部に強く西部に弱く五日は東部に緩く西部に急なりしが如し即土佐国の如き四日の
地震
津浪は差して著しき感受なか
りしと見へ十分の記録なく又之に反し東国の如き五日の
地震
津浪は其噂余り高からざるが如し然れど又一般の記録に
よりこれを徴すれば此年代は白鳳宝永の両年度と等しく
地震
天災の厄年にして已に其年の六月中にも近畿の地大震を感じ越て又明年即安政二年十月二日には江戸の大
地震
ありき然も本書は主として土佐
地震
を伝ふるを目的とすれば其前後の一般
地震
の状況は唯概略を記してこれが参考に供するに止むべし土佐大震前の
地震
安政元年は地動の多かりし時代と見へ其年六月十四日近畿の地、大
地震
あり記録の伝ふる所によれば其損害の略左の左し
土佐古今ノ地震 p. 34
「みんなで翻刻」の該当頁
産の損失は枚挙に勝へず今皆之を略す案ずるに安政の地
震は日没前午後四時に起りたる地震
にして人民が難を避くるに最都合よき時刻たりしは宝永の
地震
逃脱の機を失ふ少く其死傷の多きを認むるは己むを得ざる事といふべし試に此大
地震
の死傷男女一切の統計をなせば
り然して死傷全員の中死人は殆ど其十分の九たる惨数に達せるなり紀念物安政
地震
の後幡多郡以南中浜に紀念碑を建つる者あり其文左の如し一嘉永七寅一一月五日大
地震
静否浦々大潮入流家死人夥一大
地震
の時は火をけし家を出る事第一な
郎建之今皆現存す其他国中に吾人の見聞の及ばざる所此類の石猶多かるべし是又大震研究の一材料なり安政二年の江戸
地震安政元年十一月四日五日大地震
大津浪の事は已に前章に述べ盡したり然るに安政二年十月二日夜に江戸に於て又絶大の
地震
あり其惨害幕府開始以来の事なりきといへり世人稍もすれば安政の東国
地震
といへば右の元年十一月四
内損田一万四千百廿一石三斗汐浸七千四百九石五斗余一亡所四ヶ所其外船舶、器械、道路、物
土佐古今ノ地震 p. 6
「みんなで翻刻」の該当頁
他日を待つて増補完成を期すべし大正十二年十月一日東京大震後一ヶ月寺石正路識土佐古今ノ
地震
目録第一白鳳十三年
地震
・・・・・・・・・・・・・・・一第二慶長九年
地震
・・・・・・・・・・・・・・・・一一第三宝永四年
地震
・・・・・・・・・・・・・・・・一五第四安政元年
地震
土佐古今ノ地震 p. 35
「みんなで翻刻」の該当頁
抑、安政元年十一月の
地震は東国の地に於て地震
より強く津浪を
感じたる者にて伊豆下田に於て露艦の破損せし等名高き歴史的
地震なり安政二年の地震
は東国殊に江戸に於て最激烈の
地震
め是又歴史的忘るべからざる震害なり今安政元年十一月五日の土佐
地震を記し終るに当り一言次回の地震
に其説明を分ち世人が
地震
混淆の誤を正さんと欲す抑安政二年の江戸
地震
は十月二日の夜四ツ過今の午后十時頃に発せしものに
害を被ふりし事実は記録上未曾て無き所たり然れど此大
地震が前年度なる安政元年の大地震
に直接間接の関系連絡を
有せるや否やは別問題となすも今は唯世人が大震を研究するに当り安政元年の西国
地震
を知りて同二年の江戸に心付かず又同二年の江戸
地震
のみを知りて前一年の西国大震を知らず甚しきは其の両者を混同して同一
地震
となすに誤に
のあたり之を見るに及びては洵に自然の勢力驚くべきこと言語にも筆紙にも尽し難きものあることに感じたりき蓋其天災の性質よりこれをいへば素より
地震
土佐古今ノ地震 p. 7
「みんなで翻刻」の該当頁
台月報地学協会地学雑誌土陽新聞社土陽新聞土佐古今ノ
地震
土佐史談会寺石正路講演●第一白鳳十三年
地震総説天武天皇白鳳十三年土佐国大地震
の
ありし事は本邦最古の正史といふべき日本書紀に現然其記載ありて世上に周知されたる事実なりとす其景況後世地
震
の参照となすべき者多ければ今先づ一番の明細記載を試むべし大震前の気象抑上古の歴史には
地震
、雷鳴、日蝕、彗
べき事とす按ずるに同書の記する所によれば白鳳年代は実に全国
地震
の厄年にして十三年に至り土佐国大震を感ず決
して突如にあらず世人日本書紀の文を疑ふて或は古人の過筆となす然も試に同十三年前後の記載を読むに
地震
其他天変の現象は一々之を記載し其比
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