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みんなで翻刻ver.1/01.和古書類 (42)
地震記 下 (42)
『地震記 下』 のみで検索:
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:地震
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地震記 下 p. 39
「みんなで翻刻」の該当頁
れ飛翔り又一ッに集り又呼時は近く成るなとの彼か理の外なしはや
地震
の説も然るへし近比窮理家薬石を製し地中に埋め置て纔の
地震をなさしむといへりされとも此度の地震
の
如く大潮をさへ催し来る事纔なる理にて推量るへきにあらす世俗昔より万劫の魚と云ふもの有て大地を載たるの其尾鰭を動かせは
地震
すといへるも無実話とは云ひ難かるへし火風雨雪雷
地震
潮なと皆夫々司る神ありて其神の荒ばより禍事の出来るものと思ほゆれはなり
地震称呼地震
地震記 下 p. 67
「みんなで翻刻」の該当頁
小木の湊は山崩れ堂塔は倒潮漲て舎屋咸海に入大きなる岩海ゟ涌出たりそれゟ毎日小動して翌年六月に漸々止りたりとなん其後同国金山にいたりし時去る
地震
には定て穴も潰れ人も損せしにやと問しにさはなく皆云此地はむかしゟ
地震は以前にしりぬ去る地震
も三日以前に其徴を知りて皆穴に不入用意せしゆへ一人も怪我なしと也其徴はいかにして知る哉と問しに
地震
せんとする前は穴の中地気上升して傍なる人もたがひに腰ゟ上は唯濛々として不見是を
地震
の徴とすと云り按るに常に地中に入者は
地気をよくしる鳥は空中にありて能上升の気をしる今度
地震
せんとする時数千の鷺一度に飛を見る又或人六月廿七日
の朝未日も出ぬ先に虹丑寅の間に立を見る虹は日に向ひて立は常也いつれも常にあらざる徴とやいはん○又はしめにいへる
地震
の和名な井ふる季鷹翁大人魚也といふ
地震記 下 p. 54
「みんなで翻刻」の該当頁
一桑名大津波船多く損〆◯紀州和歌山大
地震
津浪町家大破都而大坂同様之一賀田栗嶋御
社崩ㇽ町家流れ崩一黒江浦一干潟浦一下津浦一日高浦一名高浦一弘つ浦一ゑけつ浦右浦々大津波大損し死人怪我人多し一岩佐
地震
津波二而大破一日高
郡之内四拾ヶ村一南部田辺熊野本宮右いつれも大破之由一泉洲かい塚大
地震
津波死人多し一淡洲洲本同断二而城下家
中町家二至迄大破損一阿洲徳島同出火内町さご町五丁目崩焼家中大破一小松島津波家数夥敷崩死人有之一明石かこ川高砂三ッ石大
地震
家々大破一赤穂
地震
地震記 下 p. 60
「みんなで翻刻」の該当頁
八度はかり三四度に成る事も有然共けふ既に廿日あまりを経ぬれと猶折々少しつゝの震ひもやまず皆人々のまとひ恐るゝ事也世の諺に
地震
記をしるして大震の後に震ありて止ざるためしを挙て人の心を安くせんと左にしるし侍る上古より
地震
のありし事国
史に見へたる限りは類聚国史一百七十一の巻災異の部に挙て詳也〇三代実録仁和三年秋七月二日癸酉夜
地震
六日丁丑虹降る東の宮に其尾竟天に虹入り内蔵寮に是の夜
地震
内七度諸国同日に大震官舎多く損し海潮漲し陸を溺死する者不可勝て計ふ八月四日乙巳
地震
五度是の日達智門の上に
有気如め煙非烟に如虹非虹に飛上て属り天に或人見之皆曰是は羽蟻也十二日癸丑鷺二つ集朝堂院白虎豊樓楽院栖霞樓上に陰陽寮占て曰当慎は失火之事を十三日甲寅
地震
有鷺集る豊楽院南門の鵄尾の上に十四日乙卯子の時
地震
十五日丙辰未の時有鷺集る豊楽殿の東鵄尾の上に
地震記 下 p. 64
「みんなで翻刻」の該当頁
○三代実録仁和三年
地震
之條に京師の人民出廬舎を居る于衢路に云々こ
たひの京師のあり様かくのごとくいと珍らか也○
地震
に付て其応-徴の事などは漢書晋書の天文志などには其応色々記
しあれども唐書の天文志よりは変を記して応を記さず是春秋の意に基く也今太平の御代何の応か是あらむ
地震
即災異にして外に応の有べき事なし人々心
を安んして各の務を怠る事なかれ文政十三年寅七月廿一日思齋堂主人誌○此
地震
考一冊は予か師涛山先生の考る所にして此頃童蒙婦女
経れは知る人少し此災異に係りて命を損し疵をかうふる人数多し時の災難とはいへども亦免かたしとも言べからす常に
地震
地震記 下 p. 66
「みんなで翻刻」の該当頁
南紀北越西四国中国に抵る又京師の中にても西北の方心なりしや其時東山にて此
地震
に遇し人まづ西山何となく気立升りて忽市中土烟をたてゝ揺来り初て
地震
なる事を知れりと也○又
地震
云寛文二年壬寅三月六日ゟ廿日まで日朝夕如血月亦同五月朔日大
地震
五條石橋落朽木-谷崩れ土民死す至七月未止出たり弘岡氏の譚に享和三年十一
見へず風になるとも覚へず我れ年来如此天気を見すと大にあやしむ此時廣島氏曰是は雲のたちしにあらす地気の上升するならん予幼年のとき父に聞る事有如此は
地震
後は山前は海にして甚危し又来るとも暫時外にのがれんと人をして荷物なと先へ送らせそこ〳〵に支度して立出ぬ道
の程四里計も来つらんとおもひしか山中にて果して大地
震
をこり地の浪のうつことく揺て大木なと枝みな地を打ふしまろひなから漸にのがれて去りぬこの時
地震記 下 p. 52
「みんなで翻刻」の該当頁
稲荷宮脇絵馬堂相崩申候其外市中夥敷つふれ申候怪我人も数多有之候趣二御座候今日とても
地震
相止不申もはや此節臆病に相成ギチ〳〵と鳴り候へは直様火鉢をかゝへ飛出申都合当年は色々珍事に出会申事に御座候四日大
地震
入不申此上平穏之義相祈申事に御座候尚委細之儀次便に可申上候以上十一月七日岸本兼蔵◯江戸ゟ来状写今四日朝五ッ半頃大
地震
已屋にも難居惣而出申
は屋根二瓦ノ有家なしと申事甲州辺は別而強御座候由四日日中ゟ夜分へ懸毎々小ユリ昨六日迄折々ユリ申候処夜前ゟ止り安心仕侯と十一月七日安丞◯駿府ゟ之届書写当月四日辰刻大
地震
破石垣崩御領町在共出火二相成怪我人死人数多御座候趣申来たり候【上欄外】再云今卯年十月二日の夜江戸大
地震
大火死人数千之数不知と言
地震記 下 p. 63
「みんなで翻刻」の該当頁
○
地震
の徴震せんとする時夜間に地に孔数々出来て細き壌を噴出して田鼠墳扮ことしと是土龍などの持上
るの類ならん歟又老農野に耕す時に烟を生ずる如きを見て将に震せんとするを知ると又井水俄かに濁り湧も亦震の徴なり又世に云伝ふは雲の近くなるは
地震
の徴也と是雲にはあらず気の上升するにて烟のごとく雲のごとく見ゆる也
地震
れどもな井は名目と成はなるべしと是をもおもへは誠に小児の俗説なれとも大地の下に大なる鯰の居るといふも昔ゟ言伝へたる俗言にや又建久九年の暦の表紙に
地震
けれとも既に六七百年前ゟかゝる事もあれば鯰の説も何れの書にか拠あらんか仏説には龍の所為ともいへり古代の説は大やうかくのごときもの成べし○佐渡の国には今も常にな井ふると言ならはせり
地震
地震記 下 p. 40
「みんなで翻刻」の該当頁
とありとて天に参上給ふ時山川悉に動国土皆震と有り日本記にも昇天ます時溟動皷盪山岳鳴呴とあり是全く今の
地震
く人の世となりて穏しかれと猶ともあれは今年の如き御荒備の有はいかなる事にかいとかしこし嘉永七年寅十一月五日大
地震
同月廿九日谷景井記雅澄按日本紀推古天皇七年夏四月乙未朔辛酉地動舎屋悉破則令四方俾祭
地震
ノ神ラㇳ見エ類聚国史二天平六年遣史畿内七道諸国検差メ祭
地震
ノ神社ヲㇳアリ
地震
神を古へハ処々ニテ祭レリㇳ知ラㇾタリ然ㇽ二何ノ神霊ヲ祭祀シリㇳ云コト
地震記 下 p. 61
「みんなで翻刻」の該当頁
〇皇帝紀抄に云文治元年七月九日未尅大
地震
洛中洛外の堂社
餘動屡に発し至る於歳を終るに〇本朝天文志に云宝暦元年辛未二月廿九日大
地震
諸堂舎破壊餘動至て六七月に止まるかく数々あ
る中にも皆初は大震して後小動は止されとも初のことき大震はなし我友広島正なる人諸国にて大
地震
に四度逢たり皆
波にたゝよひ道行駒は足の立どをまどはせり況都のほとりは在々所々堂舎塔廊一として全からすかくおひたゝしくふる事はしはし
にて止にしか其名残しはらくは絶す尋常に驚くほとの地
震
二三十度ゆらぬ日はなし十日廿日過にしかは漸間遠になり
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